感謝とは
スポンサーリンク
おはようございます!
hideです。
当サイトでは、私が立てた目標と日々の修正を開示することで、目標立てたが達成できないというお悩みの人のお役に立てることを目的の一つとしています。
まずは今朝の一人戦略会議で確認した人生目標達成のための振り返りから
(2023年最新の人生目標のタスクはこちら⇒2023年 コミットメント)
昨日の目的達成の振り返り
【タスク5:短眠】
該当タスク:すでに体得している意識を実感する
気づき
もともと人が持っている体内時計。
これを呼び起きすにはどうしたらよいかの一つの対策を閃きました。
それは、時計を見ずに今何時かがわかるようになる、です。
これは表現を変えるなら、時計に頼りすぎた生活では、自己覚醒までの道のりは遠いのでは?ということです。
やってみて気づいたこと
実際に何時なのかの
また1%成長できました。 神の調整に感謝!
スポンサーリンク
さて、今朝のテーマは、
感謝とは
です。
この感謝ということば、
時にやんわりと、
時に半ば強引に、
強制されることがあります。
そういったときに、
なんとなく違和感みたいなものを感じるという経験を何度もしてきました。
感謝が足りない、と言われたり、
今あることに感謝することが大事です、と書かれた文章を読んだり
そこには、自分では感謝していないのに、感謝することが正しいと思わされている圧みたいなものを感じ、なんとなく居心地の悪さみたいなものを感じてきました。
そこで、改めて、この感謝という言葉のそもそもの意味やなぜ、こういった字を使っているのか?
を調べてみました。
まず語源
礼を言う
謝る
感謝の「感」は心が動く
感謝の「謝」は「言葉」と「射る」で射るというのは、私なりの解釈だと、じわぁ~、じわじわ、ではなく、あっという間に、瞬時にというスピードの速さ、そこから転じて物事に触れて「思わず」というニュアンス。
つまり、物事に際して思わず言葉にしてしまうという「自発的な心の吐露」という意味。
よって、決して他者から強制されてするものではなく、本心から行ってしまう行為
こういう意味なら納得です。
人に感謝するとか、
人から感謝されるとか
それらは、金銭取引ではない。
にもかかわらず、言われた本人としては、何よりも代えがたい感動を瞬時に与えられるものだと思います。
相手から「ありがとう」と感謝されると、
言われた方も「いいえ、こちらこそ」
といった会話がされるのも、
言った方としては、伝えたくて仕方がない心の高まりをつい伝えてしまう。
そして、言われた方は、本心から他人からお礼を言われたことで、ある種の自己実現の証拠を実感できたことに対してお礼を言う。
ということなのかなと思いました。
こういうことなので、「表面的な」感謝を言われると、どうしても違和感を感じざるを得なかったんだな、とあらためて思いました。
読んでいただき感謝~~。
良かったら応援クリックをお願い致します。(*´ω`*)
↓ ↓ ↓
スポンサーリンク