自分らしさは意識して見につくものか?
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今は待っている石塚真一さんの「BLUE GIANT」
最新の7巻の巻末で、著者とハービー・ハンコック、ウェイン・ショーターとのインタビューがあるんですよ。
その中で、ハービーが
最初は模倣をしていたが、途中から自分らしさを発見した。
でもそれは自分で気づいたのではなく、周囲から言われて気づいた。
そんな下りがありハッとしました。
いわゆる個性ですねこれ。
何かスポーツでもそうですが、ちょっと基礎をかじれたと思ったら、とたんに後は自分のやり方を優先して、気づくと基礎から外れてしまってスランプに。
そんな経験ってありがちです。
プロゲーマーの梅原大吾さんも、著書で
セオリーとは
「先人たちの試行によってこれだけは変えられないと考えられている知恵のことだ」と書いてます。
ぽっと出のおまえごときが、どんなに頑張ってもそれ以上のノウハウなんかないよっ
それくらいすごいもの。
基礎とか基本とかと書くと、
やさしい、楽、でもめんどう、
そんなネガなイメージですが、本質は全く逆なんですね。
基礎と応用とついで捉えると、
基礎が楽で応用がすごい感じ。
でも応用は本来、基礎を自分用にマイナーチェンジしたもの。
その大半のベースは基礎なんだと折に触れては感じます。
でも、うっかりすると勘違いする。
セオリーとかだともっと本質に近づくイメージになりますね。
セオリーだから四の五の言わずとにかくやれっ!
そんな感じで取りあえず言われた通りやってみても、最初の内はうまくできるはずはないわけで、なんかしっくりいかない中で、試行錯誤しながら自分の中で納得するまでやり続ける。だから時間もかかるし今期もいる、ほとんどの人は途中で才能がないと勘違いして離脱。
だから、結果が出ないうちに基礎なんて~って投げたりしてはいけない。
今の自分は、まだまだ基礎の先の自分らしさを出す時期じゃないな~まだまだ~
そう思ってめげずに頑張ります。
ここまで読んでいただきまして、
有難うございます。ヾ(>▽<)
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